以下のコンセプトは、1995年このホームページを開設したときのものです。その後さらに考えたことを『王者
代』に書きました。
是非読んでみてください。

考え方

 日本サッカーについて、南米やヨーロッパと比較すると、技術的なこと、戦術的なことよりも、取り組み方、考え方の違いが目立つ。

 日本のサッカーのレベルアップのためには、サッカーに対する取り組み方、感じ方、といった文化的な観点から、変えてゆかなければ、真の国際レベルに到達することはできない。

 フランス人は盆栽を趣味としている。私の友人で元パリサンジェルマンFCの選手も、その一人だがフランスの典型的な彼の部屋の中に、フランス的にコーディネイトされ配置された盆栽が置かれている。それが部屋全体と調和して全く違和感がない。

 一方ブラジルの友人は、今ロシア語で勉強している。すでにロシアにも足を運んだそうだが、理由はロシアのスポーツ科学のテクノロジーを学ぶためだそうだ。勿論、彼は学んできたテクノロジーを彼なりにアレンジしてしまうだろう。

 現在日本でプレーしている、あるブラジル人のプロサッカー選手は、私にこんな事を話してくれた。「日本人は決して謙虚ではないと思う。なぜなら、明らかに取り入れる価値のある優れた情報、人材を素直になかなか吸収したり、認めたりしない。たぶんセクショナリズムによって生まれる、組織の中での自分のポジションに対する極度な保守性が原因になっているのではないか。表面的には頭を下げたりして謙虚そうに見えるのだが、本質的には決してそうでないように思う。」「グループの目的よりも、自分が他人にどう見られるか、評価されるかに夢中になって、本質的な目的を見失っている。」ということだった。

 このような無駄が日本で実際に起こっている原因は、異質な物に対する経験不足であろう。
 ヨーロッパにしろ南米にしろ国境は線なので、異質な文化、外国人に接することは極めて日常的で、そうでない方が逆に、希である。

 経済の発展にはその希な状況が幸いして効率を上げ、その他いろいろな好条件も手伝って、日本は大変な経済大国になった。(これからは経済に関しても今までのシステムでは難しいことは誰の目にも明らかだ。)しかし、経済以外、ことサッカーに関しては、そのたぐいまれな均質性が、邪魔をしているように思われる。
 なぜなら、今のところ、サッカーとFOOTBALLは、まだ、異質だからだ。異質なものの存在に対して日本人はほとんど免疫を持っていない。だから本能的に、排除してしまうか、または、全面的にコピーしてしまうかになってしまうようだ。      

 異質なものとコミュニケーションし、自分の歴史、アイデンティティーと融合し、よりよくするために妥協点を探したり、創造したりということが極めて苦手だといえるだろう。

 元ブラジル代表キャプテンで医師でもあるソクラテスは、「" 商売人が、日本には南米のサッカーがあっている" 等と言っているが、日本人がブラジル人のサッカーを目指してもそれは不可能だ。ブラジル人にはブラジル人の性格的特徴があり、それは、あまりにも日本人のそれとは違いすぎる。ブラジル人は生まれたときからサンバを聞いているのだ。サッカーというのはその国の文化に影響される。日本人は日本人のオリジナルなサッカーを創造する以外にない。」と話していた。

 現代サッカーは常に進化し続けている。オリジナルなサッカーを創造するには異質なものの意見を聞き尊重し、コミュニケーションし、取り入れるべきものは取り入れ、取り入れるのが難しいものは、アレンジして日本に合った形で吸収することが必要だと思う。
 そのためにも、サッカーに関わる諸科学等、サッカー界の指導者が勉強すべきであろう。ベースとして十分な知識がなければ判断のしようがないからだ。